赤煉瓦掲示板
わたすが見たいが23日で終わる美術展が4つある
- 今井政幸
2026/09/16 (Wed) 01:59:55
なんとか、どうやってでも、見に行きたい。
毎日でも美術館に行かねばねば。
https://mimt.jp/ex_sp/cafe/
https://panasonic.co.jp/ew/museum/
https://geidai-art-mikata.jp/highlight.html
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2026rembrandt.html
おい、イマイ!
- 高橋 洋 URL
2026/09/15 (Tue) 14:41:23
あのー今井君
えっなに!!?? イマイ君が「賢治ファン」だって!? ウソだろ! 「賢治祭」も知らなかったくせに! 強欲の塊りイマイ君と賢治は、真逆の存在だべや!!(爆)
当然、名作「セロ弾きのゴーシュ」なんて読んだことはないよな! いきなり、冒頭の部分で ベートーヴェンの「第六交響曲(田園)」を練習するシーンが登場するんだよな!
賢治は、ベートーヴェンを本当に敬愛してたわけさな!!(爆)
https://youtu.be/cBi-lRSzhYg?t=60
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一億円への道 - 今井政幸
2023/12/16 (Sat) 22:28:23
いまわたすがやってて、5,500万円ほどになってる一億円の道も、
実は、知り合いに、こんなのがあると紹介した。
が、わたす以外誰もファンドに手を出さなかった。
来年わたすが一億円を手に入れた時、彼らはどう言うかな?
恐れてびびって手を出さなかったのと、手を出したわたすとの差って、
なんだろね。ばかもめには、散々、老後資金確保の必要性を説いた。
前の会社のがリスクを取らないで儲ける方法を聞いて来たから、
ソニー銀行の外貨預金のキャンペーンを勧めておいた。
みな、少しは、資産運用の大切さが分かって来たかもね。
来年の一億円ゲットが待ち遠しい。
今日、三井住友銀行から、楽天銀行に振り込むなり。
送金が確認出来たら、即、ファンドの購入だい。
最初買った時の単価の値段が2.7ドル。
いま、現在の単価が5.25ドル。
来年4月には、12-14ドルになると言われている。
安いうちに買えて良かった。
明日投資する1,000万円も、350%の利益率は無理でも200%、
倍の値段にはなるかも。目指せ一億円。
一億円に手が届く。かも。がはははは。
Re: おい、イマイ!
- 今井政幸
2026/09/15 (Tue) 15:52:07
これこれ。
言葉の定義をちゃんとやらないと話にならないだろ。
ファンとは、好きなことだから、賢治祭や賢治祭がいつかは知らなくとも、ファンと言えるのだ。
熱狂的なファンは、ファンをないがしろにするからダメなのだ。
強欲とは、必要以上に金品や名誉などをむさぼり求める心を指す言葉なのだ。
言葉は正しく使おう。
言葉の意味を誤解してやたら非難攻撃に使うのはオサヨに多い。
さしずめ霧ちゃんは、隠れオサヨか?笑
言葉を正しく使わないと人間性もひねくれてしまう。
かつてのゲバルト時代はもう古い。
相手を攻撃しても、自分の正しさの証明にはならない。
正しいことを正確に話さないとこれからの世の中生きていけなくなるよ。笑
Re: おい、イマイ!
- ななし
2026/09/15 (Tue) 21:39:57
自分の財産を公表するバカ。やめとけ。悪いことは言わん。
ん?知能指数低いンか?
だーかーらー。騙されて詐欺にあうんだよなー。
Re: おい、イマイ!
- 今井政幸
2026/09/15 (Tue) 22:27:37
>。悪いことは言わん。
ありがとね。
君もようやくはじめてまともなことを言った。笑
けど、知能指数が低いとこの掲示板を読むのはもうやらない方が良いよ。
時間と労力の無駄だ。
時間はとりわけ貴重だ。
時間がないからわたすはいつも慌てて終わり間近の美術展に駆け込まなきゃならん。
大切にしよう。
図書館への本返却の締め切り日が今日なので - 今井政幸
2026/09/15 (Tue) 09:24:48
図書館に行かねば。
夏の暑さのせいで遠のいていた図録の入力もやらねば。
真面目に勉強しよ。
おい、イマイ! - 高橋 洋 URL
2026/09/14 (Mon) 20:03:53
あのー今井君
ここ一週間くらい、宮沢賢治関連の記事への異常とも言えるくらいのアクセス数!! なんでやねん??と思ったれば、なんと、9月21日は賢治の命日だったべ! 「賢治祭」のことをすっかり忘れてたな!!(爆)
「桜桃忌」や「河童忌」などではなく「賢治祭」とは!! ほんと賢治らしいよな!!(爆)
『蛙のうた ~ 草野心平と宮沢賢治』
http://tf.cocolog-nifty.com/skier/2014/11/post-a357.html
『賢治祭 2026』
https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/event/event_detail.php?id=50&m=9
Re: おい、イマイ! - 今井政幸
2026/09/14 (Mon) 20:38:07
>「桜桃忌」や「河童忌」などではなく「賢治祭」とは!! ほんと賢治らしいよな!!(爆)
わたすは、賢治の命日や「賢治祭」ということなども知らんかった。
すかす、わたすも賢治ファンだし、賢治をリスペクトするものは日本中どこにでもいる。
有名な賢治のうつむいたポーズはベートーヴェンの姿を真似たのだけど、
高階秀爾著『近代絵画史(上)』のフリードリヒの項で、
「フリードリヒは、山の上の打ち捨てられた十字架や、雪のなかの荒れ果てた僧院以外、宗教的と言えるモティーフを取り上げていない。しかもそれでいて、彼の画面には「宗教性」としか呼びようのない永遠なるものへの思慕が満ちあふれている。
それは、たとえばベートーヴェンやブラームスの音楽が表現しようとする世界と同質のものであり、ワッケンローグの『芸術を愛する一修道僧の告白』(1797年)とも共通するものであって、やがて、姿を変えながら、世紀末の時代にまで受け継がれていくことになる。」
とあって、へー。
賢治とベートーヴェンが表現しようとした宗教性ってもっと考察され論じられてもよいかも。
これからは、無機なAIの世界ではなく、慈愛とかの精神性の時代を目指すべきかも。
東横線なう。 - 今井政幸
2026/09/14 (Mon) 17:12:52
並んだ、並んだルーブル美術館展 ルネサンス。
入場に20分。
美しきフェロニェールを正面から見るのに40分。
良い!
ルネサンス。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。
最高!
やっぱ絵画はなんといってもルネサンス。
これしかない。
他にエル・グレコとルカス・グラーナハ、ラファエルが見れて良かったかな。
国立新美術館は、他に、「ピカソmeetsポール・スミス」をやってて、わたすが今日国立新美術館に行ったのはどちらというとピカソが終わってしまうので慌てて出かけたのだ。
ピカソは最高。
展示作品がよく練られて選出されている。
展示の質の高さではダ・ヴィンチより優れている。
こっちは並ばずに入れたが。
ダ・ヴィンチは撮影不可。
ピカソは、撮影可。
今回のピカソ展は今年屈指の美術展だ。
ポリシーというか思想というかピカソをどう紹介するかのコンセプトに感銘を受けたよ。
画家の作品を選択するにも意図が必要だよね。
>見な損|何がスゴイ? 呉春《白梅図屏風》のみどころ解説 - 今井政幸
2026/09/14 (Mon) 07:45:10
https://youtu.be/7WxN_ivQp_4?si=A-5uCi6oK79r-hgf
へー。
見に行こうかな。
Re: >見な損|何がスゴイ? 呉春《白梅図屏風》のみどころ解説 - 今井政幸
2026/09/14 (Mon) 07:49:07
>
11月3日にいよいよグランドオープンを迎える皇居三の丸尚蔵館。開館を飾る3つの豪華な特別展のラインナップや新しい展示室の魅
https://youtu.be/2MkPV7jaQKk?si=EDtKferlj1nrWKlL
皇居三の丸尚蔵館は絶対行かなきゃならないよね。
高階秀爾著『近代絵画史(上)』を抜き書きしているのだ - 今井政幸
2026/09/14 (Mon) 00:13:25
フリードリヒ
ゲーテの友人であり、物理学者、医学者、哲学者であって、さらに画家でもあったカール・グスタフ・カルス(1789-1869)は、1820年にカスパール・ダヴィッド・フリードロヒ(1774-1840)の風景画を見た時の印象を、次のように書き残している。
「自然の風景の見事な統一性を眺めながら、人間は自己の卑小さに気づかされ、あらゆるものが神のなかにあることを感じて、いわば自己の個人的な存在を断念してこの無限のなかに自己を投げ出してしまう……。このように自己自身を消滅させることは、自己を失うことではなくて、逆にいっそう大きなものを得ることなのだ……」
フリードリヒにとっては、自然はそのまま神であった。
人間は小さなか弱い存在になるが、自然の強大な力に押しつぶされ、翻弄されるのではなく、自然のふところに同一化させられ、一体となってしまう。
ロマン派特有の「現実逃避」が、ここでは自然と神秘的な同化のなかで、ほとんど宗教的儀式に近いおごそかな魂の高揚をもたらしてくれる。
このドイツ・ロマン派の画家にとっては、自然は時々刻々に変化するものではなくて、永遠に変わらぬものであり、「観察」する対象ではなくて「帰依」する対象であった。
自然の恐ろしい暴威の前でターナーが『希望の挫折』を歌い上げたように、フリードリヒもまた、自然の前における人間の営みの無力を感じ、《「希望号の難破」》(別名《氷の海》、1822年、ハンブルク美術館蔵)を描き出したが、フリードリヒの難破船は、風と波にもまれるかわりに、氷のなかに永遠に閉じ込められてしまっている。
彼の作品の登場人物は、いずれもつねに画面では後姿だけを見せていて、決してわれわれの方を向こうとしないということは、はなはだ暗示的である。
登場人物はただわれわれをともに誘って自然の広大な世界に引き入れてしまうのである。
自然そのもののなかに神を見ようとする態度は、本質的にドイツ的なものだと言ってもよいかもしれない。
それは、フィリップ・オットー・ルンゲ(1777-1810)にも、「ナザレ派」のフリードリヒ・オーフェルベック(1789-1869)にも認められる傾向である。
フリードリヒは、山の上の打ち捨てられた十字架や、雪のなかの荒れ果てた僧院以外、宗教的と言えるモティーフを取り上げていない。しかもそれでいて、彼の画面には「宗教性」
としか呼びようのない永遠なるものへの思慕が満ちあふれている。
それは、姿を変えながら、世紀末の時代にまで受け継がれていくことになる。