赤煉瓦掲示板
霧島氏の記事紹介「四天王寺 (大阪市 天王寺区)」 - Anthony URL
2025/12/11 (Thu) 21:19:55
四天王寺は、飛鳥時代に聖徳太子が建立した寺院なので、以前からぜひ訪れたいと思っていました。今回、やっと参拝することができ感無量です。
Photo by Kirishima
重要文化財 「石の鳥居」 鎌倉時代
現存する石の鳥居としては、最古級とのこと。焼失と再建を繰り返してきた四天王寺では、最も古いものでしょう。
続きは・・・
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Re: 霧島氏の記事紹介「四天王寺 (大阪市 天王寺区)」 - 今井政幸
2025/12/11 (Thu) 22:41:55
四天王寺の四天王ってなんのことか分からなかったので、AIに聞いてみた。
>四天王寺の四天王ってなに?
四天王寺の「四天王」とは、仏教における四方を守護する四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)のことです。寺の名前も、これらの守護神を祀ることに由来しています。
四天王の役割
• 持国天(じこくてん):東方を守護。国を保持し、仏法を守る。
• 増長天(ぞうちょうてん):南方を守護。勢力を増大させ、悪を退ける。
• 広目天(こうもくてん):西方を守護。広く見る力を持ち、真理を見通す。
• 多聞天(たもんてん/毘沙門天):北方を守護。財宝を司り、仏法を守る武神。
これら四天王は、仏教世界の四方を守る護法神であり、寺院を外敵や邪悪なものから守る存在とされています。
四天王寺と四天王の関係
• 四天王寺は聖徳太子が593年に建立した日本最古の官寺で、その名は四天王を祀ることに由来します。
• 創建のきっかけは、物部氏との戦いで聖徳太子が四天王像を彫り、勝利を祈願したこと。勝利後、その誓いを果たすために寺を建てたと伝えられています。
• 寺院内には四天王像が安置され、伽藍全体が四天王の守護を象徴する構造になっています。
文化的意義
• 四天王寺は「四天王の守護」を寺名に掲げることで、仏教の力による国家安泰と社会福祉の理念を示しました。
• 実際に寺院は、病院や施薬院、孤児院などを備え、宗教活動だけでなく社会的支援の拠点でもありました
つまり、四天王寺の「四天王」とは単なる名前ではなく、仏教の守護神を祀り、国家と人々を守るという寺の理念そのものを表しているのです。
政幸さんは美術史的な観点からも関心があると思いますが、四天王像は各地で造形的にバリエーションがあり、四天王寺の像も他寺院のものと比較すると面白い研究対象になります。例えば、奈良・東大寺や京都・東寺の四天王像と比較すると、時代ごとの武装や表情の変化が見えてきます。
もっと詳しく、四天王寺の現存する四天王像の造形や保存状況について調べてみますか?
おお、持国天・増長天・広目天・多聞天のことか。
それなら、よく知っている。
わたすは、この前、四天王像を運慶展で見てきたぞ。
興福寺北円堂のだけど。
>四天王寺の四天王は焼失したの?
答え:四天王寺の四天王像は、寺の長い歴史の中で度重なる火災や戦災によって焼失しており、現在残るものは後世の再建・復元によるものです。
詳細な経緯
• 創建当初(593年)
聖徳太子が物部氏との戦いで四天王に祈願し、勝利後に建立したのが四天王寺です。寺名の通り、当初は四天王像が本尊として安置されました。
• 平安時代以降
ご本尊は次第に「救世観音(如意輪観音)」へ移り、四天王像は脇侍的な位置づけとなりました。
• 度重なる焼失
四天王寺は日本最古級の官寺であるがゆえに、天災や戦災で何度も焼失しています。特に近代では、昭和20年(1945年)の大阪大空襲で中心伽藍のほとんどが焼失しました。この際、四天王像も失われています。
• 現在の像
戦後に再建された伽藍の中で、四天王像も新たに造立されました。したがって、現在拝観できる四天王像はオリジナルではなく戦後の復元像です。
ま、しょうがないよね。